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鳥取伝統芸能アーカイブス
運営主体/NPO法人プロデュース・ハレ
監修/鳥取県教育委員会
協力/鳥取県内各市町村教育委員会
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芸能の地域:北栄町
由良のだんじり
[ ゆらのだんじり ]

由良川の港で船の無事祈願  
男衆担ぐだんじりで稚児神楽

[ ジャンル:祭礼行列 ]

芸能の由来・沿革

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由良だんじりは、祭礼の際に曳かれるいわゆる山車(だし)などの曳物の一種で、江戸中期に置かれた由良藩倉の創建にはじまったもの。
享保4年(1714)、日本海に面し由良川の水運も利用できる由良に藩倉が設置され、年貢米の積み出し風景は見物人が出るほどのものだったと伝えられている。藩倉からの米の積み出しは村人の手によって行われ、藩倉の裏門から船着き場まで老若男女が俵を転がし、そこから川船に乗せて海岸に運び、さらに船で沖合で待つ藩の御用船に積み込んでいた。船による大阪の蔵屋敷への米の回漕には危険がつきまとうことから航海に携わる人々は神仏に対する信仰心が特に強く、由良の氏神である高江神社にはこうした人たちの信仰を集めていた。
高江神社では、古くから海上安全の祈願を行っていたが、由良藩倉設立後も祈願が続いていたことから、神事を由良川河口付近で行うようになった。
安永年間(約220年前)に、由良の庄屋、屋号「大前」の初代、竹歳勘助が同じく藩倉が置かれていた橋津湊(現羽合町橋津)で行われていた「だんじり」をみて深く感動、同じものを由良でもできないか、と思い当時の藩主に嘆願、許可を得て一台のだんじりが作られた。
これが、由良だんじりの始まりといわれている。後に同じ竹歳家の啓蔵がが中心となりさらにもう一台の許可が下り、二台のだんじりが由良の町中を巡るようになった。(現在、屋台は一台)明治維新によって、藩倉はその役割を終え、土地・建物は民間に払い下げられた。
年貢米の回漕も行われなくなり、高江神社の祭りも海上安全から五穀豊穣、家内安全などに変化していった。由良だんじりも戦争や人材不足などで幾度かの中断を経ながら由良の人々に受け継がれ、由良宿挙げての祭事として、現在まで受け継がれている。
 

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伝統芸能について

公演場所・時期

毎年10月24日以前の直近の日曜日(高江神社秋季大祭)午前7時出発。以前は、旧暦10月23日の宵宮、24~25日の本祭の3日開催。由良宿周辺一帯(だんじりは由良宿内を巡行する)。
公演時期: 10月

演目・時間

1軒あたり5分程度(歌詞は1番~5番まであるが行うのは1、2番が中心)。

演目詳細

朝7時にスタート、60軒くらいの前で神楽を舞い、最後の地点に到着するのが午後8時過ぎ(約13時間)。
花踊りを踊る稚児2人と胴太鼓を叩く稚児4人(毎年変更その年に5~6歳を迎える子供が担当)、計6人が乗っているだんじりを若い男衆20名くらいがかついで練り歩く。
寄付をいただいたお宅や商店の前でだんじりを下ろし、担ぎ手の青年たちが唄う「だんじりの唄」に合わせて稚児が神楽を踊り、胴太鼓を叩く。
(その間稚児たちは神様の分身のため、地面に降りることを許されない)
服装は、着物に化粧まわし、ハチマキ姿。引手の若者は半被姿。

演目の見所

だんじりの上で踊られる神楽、天狗や猩々なども登場する。

演者配置図

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ホームページ

芸能団体活動報告

お問合せ先

組織名:北栄町 教育委員会生涯学習
住所:〒689-2292 鳥取県東伯郡北栄町由良宿 423-1
TEL:0858-37-5871

参考資料

野津龍著:「鳥取県祭り歳時記」山陰放送 (1985/06) 鳥取県教育委員会著「鳥取県の民俗芸能」(2005/03) 大栄町誌(1980/3)


交通アクセス

地図

アクセス(交通手段)

JR山陰本線「由良」駅下車、徒歩5分。バスの場合日本交通北条線「由良駅前」バス停留所下車。
車の場合国道9号線→県道167号線→北栄町役場大栄庁舎前(交差点)を右折(由良宿地区内)。

駐車場

北栄町役場大栄庁舎、図書館などを利用可能



保存団体について

団体名

由良だんじり青年団



保存伝承の取り組みについて

会員外へ向けての取り組み

依頼があればゆかりの人の結婚式などでも披露している(子供ではなく大人が中心、神事のスタイルとはまったく違うものではあるが、踊りなどのかたちは同じ)。



外部公演について

外部公演の是非

要相談