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鳥取伝統芸能アーカイブス
運営主体/NPO法人プロデュース・ハレ
監修/鳥取県教育委員会
協力/鳥取県内各市町村教育委員会

芸能の地域:大山町
中山いさい踊り
[ なかやまいさいおどり ]

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)を魅了したふしぎな踊り
優雅に踊る「いさい踊り」

[ ジャンル:舞踊・盆踊り ]

芸能の由来・沿革

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中山いさい踊り
祖霊の供養・社交場・娯楽性としての盆踊りである。
元中山町では古くから踊り継がれており、「いつ・どこ・だれ」が創作したかは不明だが、以西郷か古布庄(共に現琴浦町)と考えるのが至当かもしれない。
明治22年、悟正院(元中山町栄田)の江原邦治(明治31年~昭和59年)氏が祖母(弘化元年~昭和13年)から「観音堂での踊りのこと、太鼓の皮の張り替えのことを聞いておられる。また翌年明治23年7月、松江中学赴任の途中、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が下市集落の牧野旅館に宿泊。その夜、近くの妙元寺で踊られていた盆踊りを見物。踊りの状況を「知られぬ日本の面影」として記述。文豪・坪内逍遥も文体を絶賛。さらにいさい踊り歌は7・7・7・5調。この詩形は近世(日本歴史大辞典)というから江戸時である。この三つのことからみて、「いさい踊り」は少なくとも江戸時代後半には踊られていただろうと推察できる。
大正末期から昭和初期にかけて踊られた人の中で、少しテンポが速くなったかなと言われた人がある。昭和10年代後半の大東亜戦争中でも青年団や住民等でにぎやかに踊られた。
昭和30年代はやや下火。40年代中頃、中山中央公民館・区長会が中心になり、中山盆踊り大会を開催。
平成2年には15チームもの参加集落があり、観覧車も延数百人もあり大賑わい。集落でも盆踊り会を復活されたところもある。
平成8年7月「いさい踊り保存会」を設立。8月上旬には講習会を開催。踊りは8月18日に開催。また小学生3、4年生が運動会に踊り、保存会も共演(平成14年より)。
 

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伝統芸能について

公演場所・時期

保存会演舞は毎年8月18日、19時より21時。場所は中山公民館で、菅笠、そろい浴衣、タスキ掛けで行う。各集落では8月13日から17日の間に開催。
公演時期: 8月

演目・時間

「いさい踊り」3回に渡って踊る。1回は約20分位。途中休憩をはさみ、3回目は一般観衆にも入ってもらい共演になる。

演目詳細

踊りのしぐさは男女同一。保存会発足後は頭に菅笠。そろいの踊り着にタスキ掛け。歌は7・7・7・5調。「踊りへのおさそい、草花の美しさを称賛、教訓的なこと、願いを込めること」など昔から唄い続けられる内容が多い。時には即興的な唄もある。

演目の見所

踊りの優雅さが特徴。小泉八雲が「知られぬ日本の面影」に記述されたように、すり足運び。腰をドッシリ構えたり、やや素早く動いたり、前後に移動、肘を前面に波打たせて軽く振り、手首を折って掌を前面に向けたり、体の左右横に振り降り、おろしたりするしぐさ。踊りは大きく分けて4つのしぐさ。その繰り返し。

演者配置図

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ホームページ

芸能団体活動報告

お問合せ先

組織名:大山町観光課 文化財室
住所:〒689-3332 大山町末長500 
TEL:0859-53-3136

参考資料

「盆踊りゆかりの地・なかやま」中山町小泉八雲を語る会(1991)  
中山町史(1967) 
新修中山町誌(2009/3)


交通アクセス

地図

アクセス(交通手段)

JR山陰線「下市」駅下車、東北東へ約400m、徒歩2分。車の場合、国道9号線、大山町塩津にある陸橋(中尾と書いてある)南東200m、山陰道、大山町八重で下りる。西北に約1.5km。

駐車場

公民館前の空き地が臨時駐車場として開放される



保存団体について

団体名

いさい踊り保存会



保存伝承の取り組みについて

会員外へ向けての取り組み

普及講習会を練習会に合わせて実施。中山小学校3~4年生に向け、運動会前(5月)と3年生のみ2月に踊りの指導を会員で行っている。5年前には総合学習の一環として中山いさい踊りの歴史・歌・太鼓などの学習をした際、指導者になった。



外部公演について

外部公演の是非