CONTENTS
鳥取伝統芸能アーカイブス
運営主体/NPO法人プロデュース・ハレ
監修/鳥取県教育委員会
協力/鳥取県内各市町村教育委員会

芸能の地域:鳥取市
因幡の傘踊り
[ いなばのかさおどり ]

五郎作翁への鎮魂込め  
剣舞にならった勇壮活発な踊り

[ ジャンル:舞踊・盆踊り ]

芸能の由来・沿革

因幡の傘踊り vspace=
因幡の傘踊り
徳川の末期、因幡地方が前代未聞の大旱魃(だいかんばつ)になった。この時、五郎作という老農夫が三日三晩冠笠を振り回して踊り、雨乞いの祈願をしたことが、傘踊りの起源といわれている。この祈願が天に通じたのか、三日目の夜、沛然(はいぜん)として大雨が降りそそぎ、憂慮された大旱魃、大飢饉も免れたといわれる。村民は五郎作翁に感激し喜んだのだが、悲しいことに老翁は踊りの過労のため数日後帰らぬ人となってしまった。村民その霊を慰めたいと考え、その年の盂蘭盆(うらぼん)から老若男女を問わず彼が踊った時と同様に冠笠を手に踊り続けた。  その後、明治29年、当時若者の間に賭博が流行して心ある人々を嘆かせていた。若者連中の長としてこのことを心配していた国府町高岡の山本徳次郎は、何か賭博に代わる健全な娯楽はないかと思案。神主の持つ雨傘にヒントを得て、今までの冠笠を長柄の傘に代え、自らが日ごろたしなむ剣舞の型を取り入れた振付にすれば、青年達が喜ぶ勇壮な踊りが作れるのではと考えた。それ以来、自宅で懸命に踊りの研究を始めるのである。完成した長柄の傘踊りの勇壮な踊りに青年達は興奮。彼の周りに集まり、傘作りと踊りの修練に没頭した。その後、地区の青年達に受継がれ、「因幡の傘踊り」と言われるようになった。よって国府町が「因幡の傘踊り発祥の地」といわれている。ちなみに国府町名誉町民である山本徳次郎の遺業を後世に伝えるため、国府町のあかね荘前に記念碑が建立されている。
 

動画アップロード

動画アップロード

 動画を再生する 動画を再生する


伝統芸能について

文化財指定

鳥取県指定無形民俗文化財 指定年:昭和49年10月18日

公演場所・時期

8月下旬の土曜(平成25年は8月24日) 「因幡の傘踊りの祭典」鳥取市国府町 因幡万葉歴史館「伝承館」にて17時開始
公演時期: 8月

演目・時間

因幡大津絵、浪曲くずし、貝殻節、安来節、三番叟から3曲でおよそ15分

演目詳細

基本的に二人一組なので踊り手は偶数で構成される。踊り手は横一列に並び、広いステージでは2列になることもある。歌い手は一人、三番叟では唯一横笛が演奏される。歌い手は舞台袖、横笛の立ち位置は特に決まっていない。保存会副会長の澤田勝氏は「主役はやはり傘なので座方は後ろにいるほうが好ましい」と見解を述べる。ステージ袖から中央に進みはじめ踊られる。剣舞にならった、勇壮活発な振付で、一般的にいわれる「鶴と亀」の姿勢はこの地区では「立ちと座り」といわれ、それを入れ替わりで踊る。傘は内回し。装束は芭蕉の柄で国府町のシンボルマークが入っている。

演目の見所

傘の向き、高さなど踊り手全員が揃うのが上手な踊り。そこを見てほしい。

演者配置図

 vspace=

ホームページ

お問合せ先

組織名:因幡万葉歴史館(国府町因幡の傘踊り保存会事務局)
住所:〒680-0146 鳥取市国府町町屋726番地
TEL:0857-26-1780

参考資料

「因幡の傘踊り資料集」因幡万葉歴史館(2004/10) (株)郷土出版社著:「鳥取・岩美・八頭ふるさと大百科」(2008/7) 四宮守正著:「日本の民俗・鳥取」(1972/9) 国府町誌(1987)


交通アクセス

地図

アクセス(交通手段)

JR山陰本線「鳥取駅」から日ノ丸バスの中河原線「因幡万葉歴史館入口」または岩倉万葉歴史館線の「因幡万葉歴史館口」下車 車の場合、若桜街道を若桜方面に直進し、そのまま県道291号線→県道31号線 

駐車場

国府中学校もしくは国府町のグランドが臨時駐車場となる。



保存団体について

団体名

国府町因幡の傘踊保存会



保存伝承の取り組みについて

会員外へ向けての取り組み

今年6月から地区の小中学校へ指導を開始。宮ノ下小学校は美歎支部、国府東小学校と国府中学校には麻生支部が担当している。



外部公演について

外部公演の是非

参加・体験

8月に行う「因幡の傘踊りの祭典」にて傘踊りの振り付けの一部を体験する程度なら可。問い合わせ先は因幡万葉歴史館(鳥取市国府町町屋726、0857-26-1780)



備考

備考

国府町所在の傘踊りチームに出演を依頼する際の経費や出演申込書を添付しています。

[添付ファイル1](種別:doc)

[添付ファイル2](種別:doc)